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社会で実際に起こった、事例や改正された法律をふまえ、法律に関する情報をご紹介します。

【法務情報】パワーハラスメントって何だろう?

 │ 新潟事務所, ビジネス, 労働, 弁護士和田光弘

   最近,「ハラスメント」の被害を受けているという相談が増えているように思います。英語では「迷惑行為」という意味の「ハラスメント」も,日本語で多用されるようになったのは,「セクシュアル・ハラスメント」からでしょう。

 

 最近では,職場での嫌がらせの一つとして,「パワーハラスメント」という言葉もよく使われます。これも,セクハラと違って,どういう意味なのか,考えさせられます。

 

 厚労省でも議論になったので,ワーキンググループを使って,この定義をしてもらっています。それが下の定義です。

 「同じ職場で働く者に対して,職務上の地位や人間関係などの職場内の優位性を背景に,業務の適正な範囲を超えて,精神的・身体的苦痛を与える又は職場環境を悪化させる行為」(厚生労働省の「職場のいじめ・嫌がらせ問題に関する円卓会議ワーキング・グループ」)

 

 セクハラとは違って,「業務の適正な範囲を超えて」という限定が付されています。

 これは,業務上の指導との区別をしなければならないからです。

 

 「ばかやろ!なにやってやがんだ!」(新潟県県央付近の方言まじり)

なんて言葉を使ったことがない,職人気質の親方は居ないでしょう。私も,ときに若い弁護士や事務員に向かって言うこともあります。

 

 問題はそのあとです。

 「給料泥棒!」 「間抜け面!」

などという言葉が続いたら,これはパワハラになるでしょう。

 

 「安全靴はかないで工場に入るな!」とか,「お前が遅刻すれば,全員の作業が遅れるから怒鳴るんだ!」とかの言葉が入ったらどうでしょうか。

 

 これは,必ずしも,業務と無関係とは言えません。特に,工場等の労働安全を考えたり,作業工程の最初に来る労働者に要求される時間管理であったりすれば,指摘は必要なものと言えるでしょう。

 

 それでは,パワハラと業務上の指導との違いはどこになるでしょう。

 

 いくつかの具体的な事例を通して考えると,以下の3点は重要な点でしょう。

 

 1 業務に関する具体的な関連性

 2 業務に役立つ客観情報の提供

 3 業務遂行能力・資質を補うためという具体的な目的

 

 この三つの要素がきちんと表現されていれば,多少の乱暴な言葉使いも,ぎりぎりセーフと言うこともあるでしょう。ただ,関連性が抽象的であったり,業務指導の方法が曖昧で意味不明であったり,悪意が感じられる場合には,相手の人格を傷つけることになります。

 

 傷つけられたほうは,「恨み」にも似た感情を抱くことも多いですので,やはり,要注意です。

 

 私の経験では,数年前の出来事でも,思い出すと口惜しくて涙が出るという方も多くおられました。

 

 こうしたパワハラの類型についても,先のワーキンググループは以下の6つのパターンを指摘しています。

 

 (1) 身体的な攻撃(暴行・傷害)

 (2) 精神的な攻撃(脅迫・暴言等)

 (3) 人間関係からの切り離し(隔離・仲間外し・無視)

 (4) 過大な要求(業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制,仕事の妨害)

 (5) 過小な要求(業務上の合理性なく,能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと)

 (6) 個の侵害(私的なことに過度に立ち入ること)

 

 個別の具体的な解説はできませんが,「いじめ」にも共通する行為なので,仕事を通じて行うことではありません。

 

 さらに,こうしたパワハラが生まれてくる背景には,その職場が抱えている問題が絡んでいます。

 

 多くは,背景に「長時間労働」が蔓延して,働く人々が十分な休息を取っていないことがあります。ストレスフルな状況です。職場がギスギスしてきたら,長時間労働を疑ったりして,そのことから改善しなければならないかもしれません。

 

 何れにしても,相互の信頼がなくなってきた上司と部下の関係は,何をやっても衝突したり,けんか腰になったりしますから,そうなる前に,問題を話し合って解決できるかどうかが重要です。感情的にならずに,職場の改善をどのように達成できるか,が重要です。

 

 もし,それができないまま,パワハラが発生してしまえば,できるなら,すぐに被害者と加害者とを離すようにしたり,配置転換を試みることも重要です。「給料泥棒」とか,「能無し」などの言葉の暴力も,言われた側からすると,相当に精神的ダメージを受け,精神状態が不安定になり,自分でも知らないうちに涙が出てくるということが起きます。そうなると,うつ的な状態ですが,これが深刻になると,自死という可能性も出てきます。万が一にも,そこまで思い詰める可能性があれば,職場を辞めることも選択肢です。命あっての人生ですから,そこが第一ですし,後の始末は,弁護士が会社や上司を訴えると言う方法でけじめをつけて行くことになります。

 

 そうならないことが,もっとも重要です。そのために,「パワハラ」を個人の性格と捉えずに,「職場の問題」と受け止めて下さい。

 

◆弁護士法人一新総合法律事務所 弁護士 和田 光弘◆
<初出:顧問先向け情報紙「こもんず通心」2013年3月15日号(vol.122)>

【法律相談】「原さん,どうして1億円を払ったのですか?」

 │ 新潟事務所, 弁護士和田光弘, その他

 今,マスコミ,とりわけ週刊誌上にセンセーショナルに取りあげられている某プロ野球チーム監督の原さんが,女性との交際(資料は女性がつけていた「日記」とのこと)について,口外して欲しくないとのことから,暴力団員かそうでもない人(この点を某新聞社が争っているらしい。)に対して1億円ものお金を支払ったとの話題を考えてみようと思います。

 
 暴力団かそれに準じる人たち(準構成員とか周辺協力者とか)が相手ならば,よくあるパターンで,いわゆる「民事介入暴力」ですね。平たく言えば,「ゆすり」です。民暴の弁護士ならば(うちの角家弁護士は県弁護士会の副委員長!),「払うな」「警察と連携しろ」ですね。恐喝未遂か,脅迫で立件をめざすところです。会社の社長さんがこれに屈しますと,反社会勢力に資金を与えたことで,暴力団排除条例に反したり,取引先から解除されたり,えらい目に遭うことになります。

 

 ですが,しかし,みなさん,家庭問題として考えてみますと,男どもは弱いわけです。「惚れた女房に浮気のことは口が裂けても言うな」というのが,男どもの伝説的教訓としてあります。浮気がなぜ浮気かと言いますと,それはもともと「お母ちゃんのところに帰ろう」という前提があるからでして,この重心を失ってまでの「第二の結婚」など全く考えていないからです。もう一度の結婚となると,心理的にも経済的にも,残された人生の時間からしても,大変なエネルギーが必要です。それに,結婚して安定しているからこそ,浮気が「リニューアル」で「リスキー」で「モチベーション」が高揚しやすいわけで,「結婚」という鎖をもう一度巻直そうなどと,考えてみると,もはやふわふわした感情は消え,ずしんと重く響く感情ともう一つの離婚時の勘定に「モチベーション」は下がり続けるわけです。

 
 そういう意味で「浮気」と呼ぶわけで,これが法律用語で「不貞行為」とされる,つまり「貞操をまもらない態度・様子」となり,民法770条の離婚原因になりうるわけです。

 
 で,原さんは離婚を恐れたのでしょうか。むろん,それもあったのかもしれませんが,むしろ,男の伝説的教訓「浮気のことは決して言うな」に縛られたように思います。私は他人の相談を受ければ,「母ちゃんに謝れ,一時の気の迷いで申し訳なかった,と」などとアドバイスしますが,こと,自分のことになったらどうでしょう。それほど,潔くは行きません。具体的な顔が浮かんだとたんに,「ダメです。言えません」となりそうな気がします。だからこそ,逆に,客観的な弁護士のような第三者の意見が重要とも言えるわけです。

 
 私としては,原さんは人気のある選手でしたし,今も監督として,その言動からにじみ出る好感度からしても,世間からは人気のある人だと思うわけですが,それを切り離したご夫婦だけの関係としては,精神的には,奥様が圧倒的に原さんを凌駕しているのではないかと推測します。原さんが奥さんにはどうしても頭が上がらないわけですね。だから謝って許してもらうことも選択肢としてはでなかったのかなあ,などと思っています。

 
 こと,男女の間柄は,分かっているようで分からず,割り切っているようで割り切れず,ついたり離れたり,はあ,難しいとしか,言いようがありません。

 
 しかし,1億円です。庶民感覚からすれば,生涯賃金の半分以上でしょう。
 もったいない,と言ったところでしょうか。結局,こんな発表がされるとなると,原さんも「男の哀れさ」をアピールするしかありません。
 「どうしても女房には言えなかった。惚れていたから」と。うまくいくかどうか,それはこれまでのお二人の関係によるのでしょう。失礼しました。

 

◆弁護士法人一新総合法律事務所 弁護士 和田 光弘◆
<初出:顧問先向け情報紙「こもんず通心」2012年7月12日号(vol.106)>

【法務情報】いわゆる「風評被害」というもの

 │ 新潟事務所, 弁護士和田光弘, 震災

 先日、テレビ報道を見ていたら、福島県内の皮革製品製造会社の震災後の状況を伝えていた。
 福島第一原発の事故前までは、ブランド会社の下請製品の製造が順調に拡大し、人員増も考えていたという。
 そこに、原発事故が起きた。
 経営者は、なんとか福島県内での操業再開をめざしていたものの、頼みのブランド会社から「放射能に汚染されているかもしれないバッグは売れない」ということで、製造委託がキャンセルになった。
 苦悩する社長は、泣きながら従業員に東京への移転を告げて、本格操業の再開となるまで解雇せざるを得なくなった。

 
 私が社外取締役を務めている新潟県内の製造会社でも、外国向け輸出製品の放射能検査を求められたと、社長から聞いている。
 汚染されていることがない、と分かっていても、出荷用の段ボールに、検査をした上での検査済み証明書を添付した、という。費用も、数万円で、それほど安くはない。

 
 今、原子力損害のなかで、いわゆる「風評被害」が問題になっている。
 「いわゆる」とつける理由は、本来その心配がないのに消費者や取引先が先回りをして購入や取引をやめるという心理的損害の意味で使われることもあるからだ。
 昔、管首相がカイワレ大根をむしゃむしゃ食べた宣伝用実演が行われたが、あれこそ風評被害への健全アピールにほかならない。
 しかし、こうした、純粋に心配し過ぎの「風評被害」ばかりとは言えないのが、今の原発事故だ。

 
 原発事故の損害をどのように算定すべきか検討している文科省の審査会での定義は以下の通りだ。
 「報道等により広く知らされた事実によって、商品又はサービスに関する放射性物質による汚染の危険性を懸念し、消費者又は取引先が当該商品又はサービスの買い控え、取引停止等を行ったために生じた被害」

 この被害を判定する基準は「消費者又は取引先が、商品又はサービスについて、本件事故による放射性物質による汚染の危険性を懸念し、敬遠したくなる心理が、平均的・一般的な基準として合理性を有していると認められる場合」としている。
 その結果、とりあえず、福島県内の農林水産業における食物全て及び観光関連事業が対象となり、前年度比較での営業利益の減額が認められれば、その損害は認められることになりそうだ。

 
 しかし、それはいつまでなんだろうか、という新たな疑問がわく。
 原発事故の収束までと考えられるが、いったん汚染された地域での放射性物質の影響は、放射性物質の種類にもよるが、セシウム137ということであれば、除染されない限り、100年とも言いうる(いわゆる放射能の力が半減するのが30年だからだ)。
 気が遠くなる話だ。
 むろん、そのような永遠に近い損害賠償は無理だろう。 

 
 さらに、福島県外の産物や事業はどうなるのだろうか。
 この点の結論はまだ出ていないし、実際には、茨城、群馬、千葉、静岡にまで広がりを見せている。観光で言えば、関東・東北至る所での損害は拡大し続けている。

 
 冒頭に報告した皮革製品の製造会社の選択(東京移転)による損害は補償されるのだろうか。
 事業経営は、消費者心理を先読みするところから始まる。 「平均的・一般的な基準としての合理性」などの遥か先を読まなければ、じり貧になるだけである。
  それを分かっていても、法律家として「合理性」を主張するとなると、国の基準をあてにしていても、自分の企業を守ることはできない、というのが、本音だ。

 
 「口惜しい」という経営者の声や労働者の声が聞こえてきそうだけれども、これが、原発事故の被害の実態だろう。

 
 電気供給という大きな問題の議論が冷静になされなければならないと言う経済評論家や経済団体の論議が分からないわけでもないが、原子力被害にブレーキをかける方法を確立していないと、この悲劇は繰り返される。この点に限って言えば、今のところ、ブレーキの方法は確立していない。

 

◆弁護士法人一新総合法律事務所 弁護士 和田 光弘◆
<初出:顧問先向け情報紙「こもんず通心」2011年6月30日号(vol.81)>

【法務情報】弁護士の数が増えると…

 │ 新潟事務所, 弁護士和田光弘, その他

 皆さんは,「司法制度改革」という言葉をご存知でしょうか。

 
   古い話ですが,平成13年に司法制度改革推進法というものが成立しました。

 
 その中味を分かりやすく言いますと,今まで,住んでいる人も少なく,滅多に国民の皆さんから訪問してもらうことも無かった,みすぼらしいと言ってもいいような「司法の家」を,この際,思い切って建て替えることにし,その基礎をできるだけがっちりと組み立て,大きな家にして,そこに入ってくる人を大幅に増やし,その「司法の家」は,使い勝手もよく,住み心地もいいものにして,そのなかには,国民の皆さんからもたくさん入ってもらって,どしどし使ってもらうようにしよう,という壮大な計画でした。

 
 「そこに入ってくる人を大幅に増やし」という意味は,まずは,裁判官や検察官,弁護士という法律家の試験(司法試験)に合格する人を当時の500人からどんどん増やし,最終的には,2010年で3000人を目指すと言うものでした。

 
 2009年には,合格者は2000名ぐらいにはなりましたが,とても3000人にまでにはいきそうにもありません。

 
 その原因にはいろいろありますが,一つは弁護士になる人だけが増えて,裁判官や検察官に採用される人がちっとも増えなかったからです。裁判官は昔と同じ毎年100人程度,検察官は80人程度です。これでは500人時代と変わりません。私たち500人時代の弁護士は,毎年300人から350人程度が弁護士になっていったのに,今や昨年(※2009年)で1800人に近い人たちが弁護士になっています。

 
 平成10年ころ,私と今井先生は古島弁護士を入れて3人の弁護士で事務所を運営していました。本当は,私も今井先生も,もっと集まって欲しい,一緒に事務所を大きくしたいと司法試験に合格した修習生を求めていたのですが,入ってもらえず,なかなか増えませんでした。

 
 ところが,合格者が1000人,1500人,2000人と増えてきましたら,裁判官・検察官は増えませんから,我が社にもどんどん修習生が集まってくれました。これは,一つの成果です。

 
 ところが,修習生の方はどうかと言いますと,今や就職難です。

 
 先日も新潟のタクシーに乗ったら,裁判所から乗ったせいもあると思いますが,「弁護士さんですか」と聞かれ,「自分の甥が弁護士になりたいらしいですが,就職が大変なんですってね」と言われました。

 
 我が社は大勢の弁護士が入ってくれて,皆さんにも大いに使ってもらえます。

 
 制度としても捜査段階の国選弁護人制度もできるようになりましたし,裁判員裁判も若い弁護士が一生懸命やってくれています。経済的に困難な人たちの事件も,急激に拡大しています。

 
 こうしたプラス面の一方で,サラ金から過払い金を取り戻すだけの仕事を全国から集めたり,新聞チラシで駅前にそういう人を集めたり,果ては空港で事情を聞いて過払いだけを扱うという事務所も出てきました。過払い金が無いと分かると,地元の弁護士にやってもらえと追い返したりすることもあるそうです。こうなると,金目当て弁護士は軽蔑されます。

 
 日本の先を行っているアメリカでは,弁護士はちっとも尊敬されていません。

 
 あるハイジャックのジョークに,ハイジャック犯が「俺たちの要求を飲まないと,飛行機の中にいる弁護士たちを1人づつ釈放するぞ!」と脅かしたという話があります。新型インフルエンザのばい菌か爆弾のように,弁護士が嫌われているということです。ここまでとなると「司法の家」を大きくした意味がまったくありません。

 
 今、私たちは,苦しみながら新しい弁護士の人たちの仕事や就職を開拓し,新しい弁護士たちも,昔の弁護士たちよりも待遇が悪くなっても一生懸命仕事をやろうとしています。

 
 「司法の家」を大きくして良かったと誰から言ってもらいたいのか,と言えば,それは,この日本社会に住んでいる皆さんからです。威張らない,優しい,分かりやすい,そして費用も納得できる,そういう弁護士が増える…それが「司法の家」を大きくする目的でしたから。

 

◆弁護士法人一新総合法律事務所 弁護士 和田 光弘◆
<初出:顧問先向け情報紙「こもんず通心」2010年2月号(vol.47)>


【法務情報】裁判員裁判はじまりはじまり・・・

 │ 新潟事務所, 弁護士和田光弘, その他

 最近、小学校から「裁判員裁判」の授業を頼まれ、小学校6年生を相手に授業を試みました。 

 
 「裁判員裁判」は、今年(※2009年)の5月21日から、実施される制度です。

 
 一般の市民(20歳以上)がくじ引きで選ばれ、殺人などの重罪刑事事件に6人の市民が参加し、裁判官3人と一緒になって、事実認定や量刑(時には死刑も)まで決めるというものです。

 
 どうして、そんな制度が必要かという話の前に、そもそも裁判ってどうして必要なのかというところから始めました。要は、憲法で定める三権分立です。

 
 難しい話をするときのたとえで「皆さんはお小遣いを誰が決めていますか?」と聞きました。「お母さん!」という返事。「お手伝いを誰が決めていますか。」「お母さん!」「お小遣いを渡したり、お手伝いを指示するのは誰ですか?」「お母さん!」「お手伝いしないとどうなりますか?」「ゲーム機没収!」「お小遣いなし!」「さぼったと決めるのは誰ですか?」「お母さん!」 ということで、「お母さん」は所得保障(お小遣い)と労役(お手伝い)を決め、これを実行・命令し、さらには刑罰(ゲーム機没収)を与える「王様」で「独裁者」となったわけです。

 
 江戸時代の昔、新潟市(当時は、新潟町)にも独裁者がいたのです、と話は展開し、明和義人騒動の話もしました。

 
 18世紀半ば、涌井藤四郎が、新潟港の税金1500両に反対して反乱を起こしたこと、後に捕縛され処刑されたこと、その処刑は小学校そばの「三献(さんごん)刑場跡地」だった可能性が高いことなどを話がながら、昔の殿様(新潟は天領だったが、差配は長岡牧野藩)がやはり、全部の権力を持っていたために、税金をまけてくれと運動した涌井さんが簡単に死刑にされたことは、人間の権利が守られていなかったからだ、というぐあいです。

 
 三権分立を定めた「法の支配」は一人一人の権利を守るためにあります、ということで、やっと裁判の必要性を話し終えました。

 
 それでも、裁判員裁判は「行くのはめんどう」「恥ずかしい」「難しい」など、次から次にやりたくない理由が挙がりました。

 
 そこで、「お父さんが殺人罪で捕まったらどうですか」「お母さんやお兄さんだったらどうですか」と聞きました。

 
 教室は一瞬シーンとなりました。

 
 「皆さんは、どうしてお父さんは人を殺したのだろう、とか、いや、何かの間違いだと思ったら、何が何でも裁判を見たいでしょう」

  
 「でもそういうときには裁判員にはなれません」としたうえで、「この社会で起こったことをみんなで一生懸命、まじめに考えていくことが大切です」と言いました。

 
 もう一つ。「どうしても見てみたい裁判のときに、裁判官が被告人を見ながら『その人を犯人だと思う人は手を挙げてください』と聞かれて、手を挙げますか」と聞くと、子ども達は首を振ります。

 
 「それじゃ、わからないと思う人と聞かれたら」と言うと、多くの子供が手を挙げると答えました。「手を挙げた人は出て行ってくれと言われるかもしれませんね」と言いますと、不思議そうな顔をします。

 
 「まだ、裁判が始まる前です。皆さんは一つも証拠を見ていませんから『無罪推定』と言って『無罪』と思わなければならないのですね。証拠を見るまでは『無罪』と推定する必要があります。ですから『わからない』では足りないのです」

 
 「証拠が裁判で出されるまで、新聞やテレビでどんなに犯人と騒がれていても、無罪と思うことができますか」

 
 「お母さんにお手伝いをさぼったと言われたら、証拠が無ければ無罪だといってみると、どんな顔をするでしょうか。学校で変なことを覚えてきたと、怒られるかもしれません」

 
 子ども達は、案外、真剣な顔で聞いていて、感想文の中にも「証拠を見るまで無罪と思うことは大変なことだ」という、実に真っ当な感想が寄せられました。

 
 反対も多い裁判員制度ですが、私は、社会がもっと信頼し合えるようになるためにも、まじめに犯罪に向き合って「無罪かどうか」「量刑をどうするか」をみんなで考えた方がいいと思っています。

 
 今年(※2009年)の制度実施のときに、新潟県弁護士会の会長を担うことにもなりましたので、よろしくお願いします。

 

◆弁護士法人一新総合法律事務所 弁護士 和田 光弘◆
<初出:顧問先向け情報紙「こもんず通心」2009年3月号(vol.36)>

 

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