東日本大震災から8年が経とうとしています
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本日は2019年3月11日、東日本大震災が発生してから、8年目の春を迎えようとしています。
Yahoo!JAPANでは、「いま、わたしができること。」という特設ページが開設されています。
また、トップページから「3.11」と検索すると10円が寄付されるという、復興支援企画も行われています。
私もさっそく検索いたしました。
Yahoo!JAPANでは、毎年3月11日に東日本大震災に関する特設コーナーを設けているようですが、今年の特設コーナーはハートマークを基調としており、被災地の方々の笑顔の写真が散りばめられています。
毎年3月11日はYahoo!JAPANのトップページを確認、震災について検索していた私ですが、数年前に確認した時は、津波の写真やがれきの写真、更地の写真等であふれており、震災の惨状を伝えるような特設コーナーになっていたことを覚えています。
そのときと比較してみると、今年の特設コーナーは、東北の未来を感じさせるような、明るく且つ穏やかなデザインになっており、なんだか胸の奥が熱くなるような、未来に向かって動き出しているということを実感させられました。
震災当時、関西に住んでおり、就職活動真っただ中だった私は、会社説明会に向かうため、大阪の地下鉄に乗車していました。
「車両点検します」とのアナウンスがあり、数分停車後、通常通り運行が開始され、目的地で電車を降りてみると、周りの人はみんな電話をしていて、どうしたんだろう?と思い自分のスマホを見てみると、新潟にいた母から何件も着信が来ていました。
何も知らない私は、折り返しかけてみるものの、回線が混み合っていてなかなかつながらず、何度目かにかけた時にようやくつながり、その時に初めて、東北地方で大きな地震があったこと、新潟も震度5を観測したことを知りました。
大阪で、且つ地下鉄に乗っていたことから、全く揺れを感じなかったため、実感のないまま自宅に帰ってテレビをつけると、津波の映像が流れていました。
見たことがない光景で、これは本当に日本で起きていることなのか?と思いました。
震災の翌日に参加した会社説明会では、関西在住、宮城県出身で実家が被災し、家族の無事は確認できたものの、父は鉄道会社勤務、母は看護師のため、忙しくてあまり状況が確認できていない、現地に行くこともできない、と話す学生さんに会いました。
彼女は、不安そうな表情をしながらも、今は就職活動を頑張らなくては、と、気丈に振る舞っていたことを覚えています。
彼女と彼女の家族がいまどうしているのか、知る術はありませんが、元気に過ごされていることを祈るばかりです。
この写真は、昨年の夏、宮城県の松島を訪れたときの写真です。
一見、何事もなかったかのように見えますが、とあるお土産屋さんの入口には、「ここまで津波がきました」と線が書かれていたりもしました。
それでも、本当にここが被災したのか?と思うほど町は活気づいており、被災地の方々のこれまでの努力と強い精神力を感じました。
8年前の今日起きたことを、被災地の方だけでなく、日本中が絶対に忘れてはいけないと思います。
一方で、被災地の方々が未来に向かって動いていることも忘れてはいけないと思います。
新潟にいる身ではありますが、震災から8年が経過した今日を、復興支援、身の回りの地震への備えなど、自分にできることを考える1日にしたいと思います。
【投稿:崎】